無趣味な社会人の日々はつまらないんですかね

困ったことに人生のレールが気づいたらちょっと遠いところにあった社会人の戯言です。

「とりあえず3年」経ちます


いつの日か見かけた「とりあえず3年の3年が経ちました」という広告。

それを見て、3年経った時自分はどうしてるかな〜なんて思っていた私も社会人になって3年が経とうとしている。


なんでこんな会社にだの、学歴を無駄にしただのうだうだ言っていたものの、結局転職をすることもなく今の会社に3年いる。


正直なところ2年目のときに転職活動をしてみたが、結局ぶつかったのは新卒の就活の時と変わらず「やりたいことは何か」だった。

転職活動中、面接官からのフィードバックにはよく「評論家っぽい」と書いてあった。自分なりには客観的に分析しているつもりだったが、特にやりたいわけではないので熱意みたいなものは伝わらないだろうし、こっちの仕事の方がよさそうだと述べている姿は評論家っぽかったのだろうなと思う。


社会人としてやっていくうちにいつか「やりたいこと」が見えてくるのではないかと思っていたものの、3年目が終わろうとする今も「やりたいこと」は特にない。

最近になってそりゃそうだと思うのだが、そもそも働かなくていいなら働きたくないのだもの。

さすがにここまでやりたいことがないと、そういうのがないタイプの人間なのだと割り切るようになってきた。



最近になってようやく気づいたのだが、自分はとにかく「無能」な状態が嫌いで、「有能」でありたいという気持ちが強い。無能な状態というのは、例えば小学校時代の少年サッカーでは2軍、中学校時代のバスケ部では補欠だったときに感じていたような、「ぶっちゃけこの集団の中に俺いらんやろ」と思わずにはいられない状態。逆に有能な状態は、チームスポーツでいう「レギュラー」である状態なのだ。


周りが自分より優秀な人に囲まれている状態からは逃げてきた。

高校時代の文理選択でも、元々は理系にいたのに数学や化学や物理がなんとなく苦手な気がしてきた結果、文系コースに行き、「周りが数学苦手な中ではまだできる方」という優越感を味わいながら過ごした。

かっこよくいえば鶏口牛後な考え方で人生の選択をしてきたのである。


そう考えてみると、就活の時も大手企業や志望業界からまったく内定をもらえない中で、このままなんとか大手企業から内定をもらえたとしても「無能な状態」になるのではないかと考えた結果、チヤホヤしてもらえそうな中小企業を選んだ(に逃げた)ような気がしてきた。


では、その会社で3年目となった今の状態がどうかというと、、、、実際チヤホヤしていただいている。えこひいきともいえる。

就活をしていた当時はそんなつもりではなかったが、「有能な状態」でありたいという願望から今の会社を選んだのだとすれば、少なくとも社内だけでみればその状態をキープさせてもらっている。

とはいえぶっちゃけ、井の中の蛙の状態なのは間違い無いし、転職市場における市場価値なんてめちゃくちゃ低いと思う。まだ20代だし、今はキツい思いをして市場価値を高めるべきなのかなとも思ったりするが、今の状態を捨ててまで何かにトライするような気力もない。

その時が来るとすれば、それこそ「やりたいこと」が見つかったときなのかもしれない。やりたいことがある人には憧れている。いつか自分のやりたいことが見つかるといいのだが。

「万引き家族」を観てきました

映画「万引き家族」を鑑賞してきた。

カンヌでも賞を取った話題作である今作。

 

作品がエンドロールに入った瞬間にまず思ったのが

「これで終わり?」

という感想だ。エンドロール後にも何かあるんじゃないかと期待したのだが、そのまま場内は明るくなってしまった。

 

 

「訳あり」としか言いようのない、血のつながらない貧しい家族。家族の在り方はいろいろあるとはいえ、このような形の家族はなかなかないだろう。

血のつながらない家族は、いったい何でつながっているのだろうか。

愛?お金?

作中では、何度もそれを考えさせられる。

 

松岡茉優リリーフランキーに問いかけた

「(リリーと妻(安藤サクラ)は)何でつながってるの?普通はお金だけど。」

という言葉がとても残っている。

 

「普通の夫婦はお金でつながっている」

そういわれてみれば、一緒にいる理由が

「経済的に一人では生きていけないから」

というだけに過ぎない夫婦も多いのかもしれない。

 

作中の「万引き家族」はいったい何でつながっているのか。

残念ながら、作中に明確な答えはなさそうだ。

 

いっそ、

「愛」

であってくれたほうが楽なのだが。

どうか、そうであってくれという、願いがこもったうえでの

「これで終わり?」

だったのかもしれない。

後悔

 

 

毎日後悔している。

 

「あのときもっと頑張って大企業に入れていたらなぁ」

「もっと視野を広げていればなぁ」

「あのときの自分はなんて馬鹿だったんだ」

 

そんな感じで。

 

 

でも、就活当時の自分を振り返ってみると、

あのときはあのときで本当に悩んでいた(実際、白髪が増えた)し、

当時の自分を「頑張ってなかった」と言ってしまうのは、

あまりに当時の自分がかわいそうな気もする。

 

やはり実際に会社に入ってみて感じるギャップがあり、

そのうえで今悩んでいるわけだから仕方がなかったとしか言いようがないのだろう。

 

 昔からギャンブルが嫌いで、

負けるといつも「なんでああしたんだ」と後悔してしまう。

 

結局、

後から取り返していくしかないのだろう。

 

先日のギャンブルには残念ながら負けました。

でも次は取り返しますよっ!!

 

そんな感じで。。。

「志望校」

社会人になって今日で丸2か月。

 

今日は仕事で、かつての志望校であった大学に足を踏み入れる機会があった。

 

そのかつての志望校の敷地に入ると、ただひたすらに勉強を続けていた高校時代を思い出した。

 

その記憶には、「青春」のような明るいものではなく、努力ではどうにもならないこともあるのだという、無力感ようなものがあった。

自分の中では頑張った。が、届かなかった。そして第一志望ではない大学に入り、なんやかんや充実した学生生活を送った。しかし就活はうまくいかず、結果的にはまったくと言っていいほど志望していなかった業界・企業に入った。

 

 

そして私は、この2か月間毎日悶々とした日々を過ごしてきた。

「せっかく(ある程度の)学歴を積み重ねてきたのに、それに見合わない会社に入ってしまった。」

こればかりだ。

最近は、大学時代の友人に会うのも少し億劫だ。彼らは自分よりも高収入を得る未来がほぼ約束されていて、発言が明るい。一方私は、上司たちからも、「この会社では学歴に見合わない」というようなことを言われ、将来も明るいとは思えない。

 

過去の自分の選択を後悔するのは、一番したくないことだ。しかし、毎日大手企業への転職を夢見てしまう。

 

今日、私はブログを始めた。

 

いつかこの記事を見返したときに、あのときの選択は間違えてなかったと思えるように、日々を生き、そしてそれをここに記していきたいと思う。